○○してあげてるのに・・・をやめる

OSHO禅タロット

♫真夏のピークが去ったー天気予報士がテレビで言ってたー

涼しくなるとこの大好きな「若者のすべて」を口ずさみ、やっと暑いを言い訳にしてサボっていた家事のあれやこれやをやろうかなという気になってきます

秋は私の誕生日の季節でもあり、1年で最も好きな季節だけど最近少し感じていた思考を手放しました

私は学生時代からの古い友達が何人かいますが、毎年それぞれの誕生日になるとお祝いのメッセージを贈っていました

でも、何でかなー私だけ忘れられてしまう

多分私だけみんなと誕生日が離れているかもしれないからかなあと自分で納得できる答えを見つけてたけど最近は家族にまで忘れられていてちょっと寂しい💦

仲良しグループだけど私だけ離れたところで暮らしてるし

それにみんないろいろ忘れる歳になってるし(私は結構覚えてるほう)

誕生日を祝うような歳でもないけど、私はちゃんとやってるのになんでみんなはやらないのかなあと思ったところであっと思いました

私ばかり・・・してあげてるのにってこれって私が全て勝手にやってるだけのことなんですよね、みんな喜んでくれるかなあと思って

推しにもメッセージを送ってるけど推しからは私に誕生日のメッセージなんてまあ来ないよな笑

スポンサーリンク

この「○○してあげてる」って思うのやめよう、私がやりたくてやっているんだから嫌だったら向こうから「もういいよ」って言ってくるだろうし、なんか見返りを求めていたんだなあ

見返りを求めるのは夫だけにしよう爆

だから近所のゴミ拾いもブーブー言わずにやってやろう、私がそのままにしておけないんだからっていっても毎日ゴミ拾いをやっているわけではなくて見つけたらの話なんですけどね

それで思い出したのが竈門炭治郎が言った「人のためにすることは巡り巡って結局自分のためになる」という言葉

ただ、私は前世人の為に世話を焼き過ぎて(自己犠牲)利用されて終わったという寂しい人生だったそうなので今世はほどほどにしようと思ってます

ちょっとモヤっとしてしまったけど、また冬にやってくる友達の誕生日はメッセージを贈ろう

「たとえ今自分が不幸な時でも人の幸せを心からお祝いすること」が自分が幸せになった1番のきっかけだったから

loversのカードを見てふと思いだしました

私がそうしてメッセージを贈っていたらいつかは私の誕生日を思い出してくれるでしょう、もうええけど笑

ただ自分が元気でここまで生きてこれたことと、幸せに暮らせていることに感謝しています

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

タイトルとURLをコピーしました